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2019.1.11

全員、渡辺。

不思議伝統渡辺祭り
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  • WRITER

    北稜高校3年

    ゆうひ

  • INTERVIEW

    北稜高校3年

    ぽん

  • PHOTOGRAPH

    1999年生まれ

    おさだ

  • INTERVIEW

    北稜高校3年

    たいが

私たちの住んでいる富士吉田市は「渡辺」で溢れています。

渡辺、渡邊、渡邉、わたなべ。

多いところではクラスの3分の1が渡辺だったことも。

山梨県が渡辺姓が多いことは有名で、渡辺のみんなが苗字で呼ばれないことが当たり前です。

そのため進学や就職で県外へ出ると、、「なべさん」や「なべ」などのあだ名で呼ばれて、とても新鮮な経験をするみたいです。

今回、私たちが取り上げるのは、「渡辺祭り」です。渡辺に溢れた富士吉田のあるお寺では年に一度、そんな渡辺姓のお祭りがあります。

私たちは、そんな渡辺の渡辺による渡辺のためのお祭りに密着してきました。

 


 

「渡辺祭り」は約400年続いている伝統義行事です。

富士吉田市の新倉にある如来寺(浄土真宗)で行われていて、いわゆる如来寺の一家衆(いっけし)のお祭りと言われています。

一家衆とは、浄土真宗でいう親族集団の総称で、古くから如来寺に籍を置いてきた渡辺さんの集団です。

そんな渡辺の一族のお祭りは他のお寺や地域でも行われていそうなのですが、なぜ、如来寺が「渡辺祭り」という名前で行事を行なっているかが不思議でした。

 

まずはそんな祭りの歴史の話から。

【400年の渡辺の系譜】 まず、一つの理由は如来寺が新倉に鎮座したのが500年前。

それから、現在に至るまで、如来寺の渡辺から分家していった家系がどう繋がっているか、全て分かっているからです。

現在市内外に140軒ほどある如来寺渡辺ですが、如来寺の渡辺は700年前に外様的に甲府から来たため、そこからしっかり記録がとられていて、出自が明確であることがあります。

そのため、明らかに如来寺の一門であると断言できるため、一族の同族意識が高いということが挙げられます。

 

【武田家との関係】

さらに如来寺の渡辺さんたちの家紋は武田菱で、他の渡辺姓とは異なります。山梨は戦国時代は甲斐国と呼ばれ武田家の領地として収められていました。

戦国時代に武田堤という河川の反乱を防ぐ堤防を築いた際に、如来寺のわたなべ一門が尽力したことから、武田家からいただいたそうです。この他とは異なり、甲斐国の渡辺としてのプライドも感じられます。

そんな、由来のある渡辺姓なので、渡辺祭りとして行事を開始しました。 渡辺祭りの中身 渡辺祭りは、毎年一月二八日に行われます。

毎年100名ほどの参加者のもと、伝統を繋いでいます。

そんな渡辺祭りの手順を紹介します。

 


 

⑴ お堂参り

渡辺八幡。

寺の横に鎮座する渡辺姓を祀るお堂があります。

まずは集まったみんなでお堂で御経をあげるところから始まります。

 

⑵ 御墓参り

現存しているもっとも古い如来寺渡辺のお墓である、9代目渡辺住職のお墓があります。

集まった渡辺はおよそ50名ほど。

みんなの先祖にあたるお墓をみんなで参ります。

 

⑶ 親睦会

親睦会はお寺の広間で、みんなでお昼を食べます。

奥さんがた、女性陣が朝早くから集まり、豚汁などを用意し、みんなでいただきます。

一年に一度、一家衆が顔を合わせてご飯を食べる。

そんな文化が長く続いています。

 

⑷ レクリエーション

集まって、楽しむ。

古くから落語は大衆の娯楽として楽しまれてきました。

渡辺祭りでも、落語家さんをおよびして、一家衆で笑って、お祭りを締めくくります。

もちろん上の写真に写っているのも全員、渡辺です。

 


 

渡辺が多い不思議なこの町にはたくさんの歴史、伝統が残っています。

それらの伝統に、何か私たちにできることがあるとしたら今風の形で伝えて、残していくことなのかもしれません。如来寺のみなさま、この度は面白い機会に立ち会わせていただきありがとうございました。